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負け犬の遠吠えを聞いてくれ

 

先日、現職の解雇を言い渡された。

こちらの記事で風のエレメントの話をした後すぐ!(笑)

私も風の時代に移り変われ、やり方を変えろってことですかね…

 

likehate.hatenablog.com

 

 

うつ病の教員は雇えない」

 

非常に残酷な結末に思えた。

そして今もうつとパニックと戦う私に言い渡すセリフなのだろうか。

そんなことも思った。

今日は負け犬の遠吠えではあるが、この学校について書こうと思う。

 

 

私は今年からこの学校に加わった。

入って一言。

 

「ひどい学校…」

 

 

教員は7人いた。

 

A…教務リーダー。仕事は異常にできた。使えない奴は切り捨てるがモットー。誰とも群れないくせに寂しがり。謎を貫き、俯瞰して楽しむ男。

B…熱血教師。だ仕事の優先順位をつける・報連相など基礎的な仕事力の欠如・プライドからミスを認められない課題があった。しかし教師としては温かく、授業も面白か考える良い教師。

C…社内ニート。仕事授業全般にセンスがない。女を抱くことだけを考えている。Eとはセフレ。可愛い女子生徒とばかり会話する。教師らしさは0。備品管理、学習規律を保たせる点に関しては優れていた。

D…発達障害。何をやらせても難しかった。周りも教師だというのになぜ彼を見て即座に発達障害と判断できないのか疑問であった。プライドが高く、指導を聞かないところはあったが、心は優しく、温かい、きれいだった。

E…社会人2年目。ヤンデレで男子生徒や男性職員に性的誘惑するのが癖。治らない病気。身体を露出したり、写真を送りつけたりとにかく問題教員。口癖は「私、可愛い?」

Cとセフレなのは需要と供給のバランスが取れていた。言うことだけは一人前。個人的には教師としてのセンスはあると思うが、彼女の病的な癖、育てられる環境にないことから絶望しか感じなかった。彼女は全ての人間を見下している。恐らく自己愛性パーソナリティ障害か、愛着障害。私のことをなんだか嫌っていた。

F…ブラック企業育ち。忍耐強く、仕事の基本はよくわかっている。合理的に物事を考えられる。ただ生徒にも職員にも仕事にも愛がなかった。というか彼女の職歴的に愛を持たない状態になっていた。様々な情報収集して無心に生き抜くスパイであった。

 

これに私というメンツ。

みんな私より教員歴もなければ年齢も下。

 

職員室にはいつも酒が置いてあり、暇な時間はいつも下ネタを話す。

保護者が来ていても野球観戦をして楽しんだり、漫画を読んだり、ゲームをしたり

何一つ仕事は終わってないのにプライドゆえか余裕そうに遊びまくっていた。

年齢は2・3しか変わらないのにこの職員らの異常な幼さに気が狂いそうだった。

 

ただ私がここをやめなかったのには理由がある。

 

まず、学校のシステムに面白みがあった

この学校はできて間もない学校で通常の学校とは異なっていた。

コースもいくつかあり、生徒が好きなように登校できる通信制高校だった。

 

私は営業時代、提案営業が大好きだった。

客の様子を見てはまるであろう商品を提案するのが楽しくてたまらなかった。

 

そして英語科の授業に関しては今までの

 

「This is a pen. これがペンです。ノートにとって!」

「be interested in~ ~に興味がある。はい覚えて~!」

 

というつまらない形でなく、目の前の生徒の課題やニーズに沿ったプログラムを組みたいと思っていた。

この学校は通信制だし、進学率も求めていない。英語なんて好きにやればいい。

そして3つほどコースがあったので状況に応じていつだって提案営業ができる。

校長も「何でもやっていいよ~」というようなベンチャー気質

(これがのちに無能責任なし男と明らかになるのだが)だったので

私にはこの教師陣とさえうまくやっていけば、関わらなければ

給料休みも文句なしの自分のやりたいが全て詰まった最高の職場だったのだ。

 

「まだできて間もない学校だ。人員なんていかようにでも育てればいい。

 しばし耐えて自分の好きなことをやろう…」

 

その計画は全くうまくいくことなく、私はうつ病で倒れたのであった。

 

度重なるEの嫌がらせ、Eが生徒に手を出す等の問題行動。

それは決まって私の学年であった。

恐ろしいことにここの教員は始めのうちはそれでもEをかばっていた。

Eが何か性的なアプローチをしていたのだと思う。

他教員も私の学年の生徒と遊びに行ったこともあった。

授業を任せればたった45分なのに毎回時間通りに始めて時間通りに終わるという

基本的なことに始まり、とにかく仕事が何一つまともにできない。教師の基本を誰も知らない。

それなのに自分は仕事ができると各々豪語する。恐ろしい。

 

私は高3担当だった。自分の生徒の進路決めに力が入る。

なんせ私が卒業生を持つのは初めてだったのだから。

それをこの教員どもはがつがつ壊しにかかった。

 

「頼むから絡まないでくれ…」

 

このままではこの学校はどんどんクズと化す。

それでは私のやりたいことができない。

組織を改革せねば、なんとか彼らに邪魔されないようにしなくては。

 

ここでうまくやるにはまず仲良くならなくてはいけなかった。

私は人間カテゴライザー。(笑)

全力カテゴライズでコミュニケーションを図ったが、まあうまくいかなかった。

次元が違うのだ。表面的にはうまくいったときもあったが、

表面的にうまくいくことで面倒となることも増えた。

 

ここは上司に頼るしかない。

そう思い、何度も話をしてきた。

困っていること・問題点・職員の実態全て話した。

 

【 動かない。】

 

嘘だろ?

あの性的問題を起こす女だけは解雇にするから待ってて~

 

嘘だろ?

 

挙句この校長は私とFが文句を言いにきていることも職員に漏らした。

そして言わないでといったこともすぐにリーダーAには伝わっていた。

何も守られていない。

問題教員に注意することもなければ、指導することもない。教育もしない。

そしてできる人間だけに仕事を振りまくった。

私にももちろんその仕事は降りかかってきた。

 

何か起きてクレームを言えば言うほどに上司はアップアップになり、いらついていく。

詰んでいる。

 

「俺はありきたりな学校ではなく、面白い学校をつくっていきたい。

100点ではなく、120点をめざしたいんだ。」

 

 

こいつは私の経歴を知ってて、ものを言っているのだろうか?

 

私は過去に飲食店の店長補佐としてマネジメントに携わっていた。

新宿東口、駅チカで立地も最高だったが

かつてここにあった店はどれももって3か月でつぶれるという負のジンクスもあり、必死だった。

 

この経験を踏むことになったのは経緯がある。

 

私が19歳の時の話だ。

当時居酒屋のまあ仕事がよくできる料理長と恋愛関係にあり、

仕事の基礎はバンバン叩き込まれた。

恋愛関係だったからこそバンバンたたかれても信じてやってきたところはある。

その料理長との居酒屋はチェーン店だったのだが、当初は毎回12店舗中ビリ。

店長も頭を悩ませていたし、立地も悪いこの店が勝ち抜くにはどうしたらいいか…

ひたすらに店長は考えていた。

それゆえ当時全く仕事ができず、ぼーっとしてる19歳の私には

いじめと思うくらい辛い指導が入った。

「やめてやる!!」というときに「まあ待てや」と登場したのが料理長。

 

仕事の基礎・要領のいい働き方・賢い接客

彼からひたすらに学んだのだった。

 

そして私は腕を上げ、どうしたら早く客を回せるか、単価を上げるトークとは、

勝手に身体が覚えていった。

 

「冷やしトマト余ったわ~。ホール売ってきて」

「間違えてこれ作っちゃった。ロス減らしたいから売れない?」

 

そういわれれば必ず売ってこれた。

 

料理長の料理のおいしさ、店長のマネジメント、私含めたバイトの協力もあり

この店は数か月後には1位を守り続けた。

 

仕事にはロジックがあるのだ。

きちんとそのロジックを分かっている人と目標を同じに掲げている人がいれば

結果はいい方向に進んでいく。

 

これを基礎にいろんなバイトをやったのだが、出来ないことはなかった。

ティッシュ配りではティッシュを渡すタイミングと角度。

店への呼び込み。これも声をかけるターゲット・声のトーン・入りの言葉。

塚田農場で働いたときは塚田農場のシールをお客様の携帯に貼ってもらうという

なかなか酷なお願いを聞いてもらわなければいけなかったのだが

これもテクニックを早々に掴み、もらってもらえなくて困ることはなかった。

 

だから仕事にはコツがあってこれさえつかめばそんなに難しいことではない。

むしろコツ見つけようとせず、じたばた足掻いている方が無駄であって

足掻いている暇あればコツ探しに懸命になれ!といってやりたかった。

 

そしてこの店は店長や料理長の異動と共に私も去ることにし

次なるステップとして踏んだのが店長補佐の仕事だった。

 

1プレイヤーからマネジメントも含めた仕事になるということは

周りをよく見る必要があった。

新入りのバイト30名を抱えて、エリアマネージャー・店長・副店長・社員・私と

どうするべきか話し合い、なかなか面白い経験だった。

 

私は新入りバイト30名の教育と客席や用具の設置・ポップ作りを担当していた。

 

当時の私は21歳。まだまだ未熟でゴリゴリに気が強い女。

使えない奴はどんどん切っていった。

見込みのある人には手厚い指導、そうでないものにはやめるようにきつくする。

本気でやりたいなら腕上げて来いと言わんばかりの指導だった。

 

私が嫌で辞めていく人間も少なくはなかった。

アンチも多かったし、他店の人間からは「お前のやり方は間違えてる」と

直接文句を言いに来られたこともあった。

 

でもうちの店は売上は1位だった。

 

「何か文句でも?悔しければ売上抜いてから言ってください。」

 

最強に気が強い女だ。そして人の気持ちが分からない。

労働者の気持ちを分かっていない。

 

結局就活を機にバイトもやめたのだけど

ふと振り返ってみるとすごい嫌われていた自分に気が付いた。

売り上げは取れた。リピーターもついた。売りたいと思ったものはすべて売れた。

でも私に感謝する人間はいたのだろうか…

 

仲良しごっこでは勝ち抜けない。

でもある程度の緊張感と居心地の良さを持ち合わせた職場を作りたい。

 

そんな思いを感じたのが21歳であった。

 

この経験を積んでから社会人になってからも優秀な人を研究し続けた。

優秀な人は勝ち抜くロジックを知っているから。

 

そして営業時代、とても優秀な上司に出会った。

部下の本性をきちっと見抜き、適切な時期を見て指導を入れる。

怠惰や演技でやる気あるように見せている人もすぐ見抜いた。

また頑張りすぎて倒れそうな人間にはすぐに今はもういいと声をかけた。

そこまで人間観察をしておきながら自分が数字をとらない日はなかった。

会議や面談やで忙しいはずなのに、絶対にクリアしてくる。

 

「この人のために働きたい」みんながそう思う人だった。

 

上司というのは部下の希望であった方がいい。

私が21歳のあまちゃんの時にやったマネジメントは自分の能力のみせつけ。

そしてこの飲食店もまあ自分の能力に自信がある21の私のような人間の集まりで

ものすごい勢いで店舗拡大をしていった。スピーディーに面白い企画を!

こればかりに目をやってコマの育成はせずに進んでいった。

外部から来た一部の能力のある社員にどれほど救われたことか。

私も「おかしくないっすか?」と金髪生意気娘がエリアマネージャーに

無計画な拡大について問いただしたものだ。

でもあの時あの会社は店舗拡大や金稼ぎ、ドリーミーな思想で頭がいっぱいだったのだろう。結果長持ちはしたと思う。拡大もしたし。

ただもう私が勤めていた時の社員のほぼはいないし、現在はどっかの会社に買収された。

基盤が固まっていないからこうなるのだ。

 

いろいろと書いてきたがお分かりになっただろうか。

 

うちの校長はこの店の社長や21歳の時の私と同じだと思う。

売上・拡大・知名度、そこにばかり目をやってコマを見ていない。

 

マネジメントの身の焦りや孤独感もわかるからこそ協力してあげたかった。

だから私も在職中は校長がやりたいことと私の思いが同じであるか

よく確認したものだ。やっていけると思っていた。

 

だが、今回の解雇宣告。

そして21の時の私が気づいたことにまだ気づかぬ校長を見て

私はこの人はロジックを摑めていない人間だったのだなと不憫に思った。

 

どうか足掻いてくれ。

 

勢いと体力のある会社はある程度までは上り詰められるから

これからも順調に大きくなっていくことと思う。

ただそこに価値ある作品が残されているかは何とも言えない。

それで満足ならそれでいいだろう。

 

ただ私は支えでありたかったよ。

もっと根本からいいものつくりたかったよ。

 

いつか本質を分かれるような大人になれるといいな。

 

 

これがうつ病でクビになった私が残す言葉である。

何言っても負け犬の遠吠えにしか聞こえないだろうけど、

これが私の思いだ。

 

 

もう二度と私がこの学校に意見することはない。

 

 

 

 


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