私のメンターと愛の形
私には英語の師が3人います。
①楽しくワイワイやりながらも厳しい先生
②楽しいを重視、心に寄り添う優しい先生
③緊張感しかないけど英語のプロ中のプロ
一つの語学学校にバランスよく揃っていたのです。
どの先生も腕がすごく、感動しかなかった!
こんなに的確に教えられるんだ〜!と
鳥肌がたつくらい素晴らしかったのです。
ただ、私には分からないことがありました。
③番の先生が私をよく人前で怒っていたのです。
そんな英語でバカにしてるのか!
英語に努力を感じない!
あなたには合格を渡せない!と最後まで
合格をもらえないこともありました。
当時の私は誰よりも努力する優等生でした。
私より実力がない生徒はたくさんいて、
というより当時は私より実力がない生徒しかいませんでした。
それなのに大事な集団スピーキングテストで
不合格の上ダメ出しもされ
ショックと恥ずかしさとプライドも崩れました。
その時の経験や日頃の様子から
【なぜ私だけ?】という思いが募り
↓
教師の好き嫌いじゃないか!
結局自分の中で可愛い、可愛くないがあるんでしょ?
↓
媚びるのうまい生徒はいいよな。そんな媚びにのっかる教師もバカだ!あの先生は信用しない!!
↓
どうせ私は愛されない。だめなんでしょ?
見込みないんでしょ?
という具合に先生への不信感も募り、自分に自信もなくなり、先生から離れていきました。
でも自分が教師になってどうかというと...
教師の1.2年目のペーペーのときは
出来ない子をひたすら厳しくやっていたけれど
ある程度するとこの子にはこうがいい、あの子にはこうがいいという区別ができたように思います。
逆に見込みがない子、手に負えないレベルは
触らないようになる。
それは見捨てることではなく、私たちの仕事上
優先順位をつけないと全員殺すことになるからです。
そう考えたときに
あのとき先生が私にだけ厳しかったのはなんだろう?
と思うと....
きっと期待してくれていたのだと思います。
私の可能性を信じ、愛を持って厳しくしてくれた。
時間を割いたのだと感じたのです。
それにも関わらず手を離してしまった私は
未熟だったと思います。
あのときあのままついていったらどんな未来が待っていたのか、どんな関係になれたのか。
愛の形は様々で
①の先生は私の授業を真似して日本で広めなさいと英語界のバトンを繋いでくれました。
②の先生は英語を楽しむことを忘れないでほしいといつでも楽しく温かく応援してくれました。
③の先生は1ミリも笑顔を見せなかったけどたくさん負荷をかけることでどこでも対応できる私にしてあげたかったのだと思います。
これほどの愛をもらっていたのに私は未熟ゆえに当時はどの愛にも気づかなかったのです。
今ならよく分かります。
その愛がどれだけすごくて、どれだけ特別扱いされていたか。
私も教師をやっていたときよく思っていたのですが
愛ってこっちがどれだけ注いでも
相手に受け取る力がなければ全然響かない。
学生相手に
なんで受け取ってくれないのよ!!
って怒ることもしばしばでした。笑
教える側は生徒がほしい形の愛と、伸ばすための愛の形をわけて考えてます。
向上させるためには後者を選んで対応し続けるのです。
でもその上で私がやったような摩擦が起きるのは
普通であって、分かり合えないこともあります。
嫌われることもあります。
だから私はその人の言葉が何を意味しているのか、
どんな思いがあるのか、
愛を受け取るお皿を大きくしておきたいなと思います。
そして1人でも多くに伝えたい思いが伝わるように、
言葉の力を磨きたいと思うのです。
もし、また愛ある師に出会えるなら今度はその手を繋ぎ続けられる自分でありたいです。